洋の東西、今昔を問わず、人は誰でも未知なる世界への憧れを抱き、冒険を試みてきた。この山を越えたらどこへ辿り着くのか、この海を渡れば何が待ちうけているのか―-。美しい南太平洋の島々に暮らす古代ポリネシアの人々も、果てしなく広がる紺碧の大海原を前にして、自分が立つ場所とは違う遥か彼方の地平への冒険に、胸を躍らせたに違いない。

日本人にはお馴染みの常夏の島、ハワイ州オアフ島。首都ホノルルにビショップ・ミュージアムはある。1889年開設された博物館で、太平洋全域における人文・自然科学に関する収集、出版、調査研究では、世界でも有数規模を誇るといわれる。ここで、約40年間にわたり、ポリネシアの調査研究に携わってきた太平洋考古学の第一人者が、篠遠喜彦理学博士である。

博士は、それまで熱帯の季候のせいで、土器をはじめとする遺物や遺跡が残らないと思われてきた太平洋諸島から、たくさんの遺跡・遺物を掘り当てた。ハワイ島で、古い釣り針を発掘したのを皮切りに、フィジー、マルケサス諸島、ソサエティ諸島、イースター島、サモア、トンガ、ニュージーランドなど、気も遠くなるほど広大な南太平洋を遍歴。釣り針の研究から時代を特定し、当時の人々の暮らしや、ポリネシア民族の太平洋進出にまつわる歴史を解明してきたのだ。

イースター島のモアイもそうだが、西洋人の太平洋植民地政策以来、倒されたり放棄されるなどした無数の遺跡を修復する原動力となったのも、篠遠博士である。現在も、世界中の研究者やジャーナリストたちが、博士の豊かな経験に裏打ちされた知識の恩恵に預かることが多い。

1977年、篠遠博士は釣り針に続き、古代ポリネシア史研究において、とても重要な発見をする。フランス領ポリネシア、フアヒネ島(タヒチ本島を含むソサエティ諸島の中心に位置する)の水没遺跡調査により、古代木製カヌー(カタマラン、双胴船)の構成部品を発掘したのだ。帆柱20メートル、厚い側板、舵取り用の櫂――。これらは、古代ポリネシアの人々が、太平洋を航海していたという伝説を裏付ける貴重な出土品となった。

ところで、その伝説とは何か。篠遠博士は語る。

「ハワイやニュージーランドの人に、あなたの祖先はどこから来たか?と聞くと、『タヒチから来た』と言うんですよ。そして、サモアの人にどっから来たかと聞くと、『ここだよ、ここから来た』と言う。つまり自分たちが源であるというわけです。これがいわゆる『ハワイキ伝説』で、タコのように、祖先はサモア、トンガからタヒチに来て、タヒチがタコの頭で、八本の足のように、各地に散らばったんだというものなんです」

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